おつかれさまです、強迫性障害主婦のサです。
スーパーへ買い物を行くとき、青いニトリル手袋をつけて買い物カートの持ち手部分を消毒しながら入店するんだけど
行き交う人がすごい差別的な目で見てくるんです…
まぁ、ヘンな格好や行動をしている方が居たら、そりゃ見るか
というようなこと、みなさんもありますか?
異常者だって自覚してるからこそ、初めて完全武装してスーパーに行った時は周りからの視線が気になっていましたが
今ではそういう視線に完全に慣れてしまい、こう振り返ると人間の慣れって怖いなって感じますね。
さて、今回は脅迫行為は無駄じゃないって話です
病気だと思うと、ついつい完治を目指しちゃうけど。
治すって感覚とは違うから、ほかの病気とは区別すべきなんだよな
潔癖症で良かったなぁと思うことをあげていく
潔癖症って不便だし生きづらい。
でも時々、潔癖で良かったなぁと思うこともあるんですよね。
ということでいい点にフォーカスしてみます。
良かったこと1:病気になりにくい
これは一番思うこと。
人混みを避け、感染対策を万全にしていれば、マジでウイルス性の感染症にはならない。
喉がイガイガする~ってくらいの軽い風邪にすらならない。
結果が出ちゃった。だからこそ、やめられないんですけどね
良かったこと2:人生の楽しみが増えた
潔癖が悪化する前は、休日になると毎日のように出かけていました。
特に目的がなくても自宅にいることが苦痛だったからね。
そんな過去の自分を振り返ると、自由で楽しいこともありましたが、ちょっと雑に生きていたなって思うんです。
今は、家の時間を充実させたり、山に登ったり(人が少ない)、散歩をしたりすることが楽しいです。
外食ができないので、食べ物はすべて自炊です。
手の凝った料理をすることも楽しいです。食材の鮮度や旬を考えて作った料理は、外食よりも贅沢で美味しいですね。
良かったこと3:人間関係の悩みゼロ
人の悩みって、大抵が人間関係があるからうまれてませんか?
人と関わらない生活なら、そんな悩みが一切無くなります。
中にはドロドロの人間関係を楽しいと思える人もいるでしょうが、私は苦手です。
気も使わない、ムカつかない、悪口やら文句をいわれない、緊張しない、慣れ合いみたいなダルさも無縁。
これはめっちゃ快適です。
そんな生活に慣れすぎてしまったから、もう戻れない。これがデメリットかな…まぁ戻る気なんてさらさらないですけどね。
みなさんも、これは本当におすすめですよ。人間関係で病んでいる時はすべて捨てて逃げる。これが一番でしょ
強迫性障害というレッテルの中で感じる違和感
潔癖で良かったところをご紹介しましたが、最近感じることは
嘔吐をともなう特定のウイルスに対して過度に潔癖な私は、強迫性障害の不潔恐怖という枠組みからも少し外れているんじゃないかな・・・そう感じるんです。
だから、「不潔恐怖の強迫行為=抑えましょう・治しましょう。」っていうのが納得いかないんです。
健常者や医者からは不潔恐怖って分別されて、ぜんぶが悪いことのように誤解されがち。
なんだか・・・燃えるゴミと燃えないゴミみたいに、人って分別しないと気が済まないんでしょうね。
どっちでもいいゴミが私ってイメージ?です。
特定のウイルスから身を守るために予防することは、良いことです。
私は極度の潔癖症なので、ウイルスから逃れるために一般人がするほとんどのことが苦痛で諦めて生きてきました。
当然めっちゃ生きづらいし、こうならなきゃもっと楽しくラクな人生だったのにって毎日考えながら生きてます。
だけど、ノロウイルスに感染した人って「もう二度と感染したくない、死ぬかと思った、地獄のようだった」皆そろってこう言いまよね。
そんなノロウイルスに感染しないように予防を徹底しているのって普通の防衛反応じゃなかろうか?
逆にみんなすごいなって思う。例えば、牡蠣にあたって地獄を見た直後は「もう二度と牡蠣なんて食べない」そう思うはずなのに、しばらくするとまた食べちゃうんだから。
まとめ
今回は、潔癖症ってどうしてもマイナスな面がどうしても目立ってしまうから、改めて良いところを再認識してみました。
さっきの確認がなかったら危なかったかもしれない、今手を洗ってなければ感染症に罹っていたかもしれない。って振り返って感じる場面が多いのも事実。
実際、予防してきて、感染していないって結果に関していうと、ほんと潔癖には感謝している。
不潔恐怖ってどんどんエスカレートしてしまう病気だけどさ、やってること全てを治療する必要はないと思うんだよな、やっぱり。
ということで今日はおわりです。また次回