おつかれさまです、強迫性障害主婦のサです。
今回のテーマは、いつもより少し、個人的で、重たい話になるかもしれません。
だけど同じように悩んでいる誰かがいるかもしれない、そんな話です。
親が潔癖症だと、子供はどう育つのかについて。もっと言うと、私の潔癖症が、7歳になる私の子供にどう影響しているのか、という告白です。
親が潔癖症。子供がまだ乳児や園児で、子供の将来が心配な方へ。
結論から言いますと、潔癖症は親として大きな欠点となります。子供に不自由な想いをさせてしまうでしょう。
だけど、親はあなたしかいません。不自由でも頑張って育てていきましょう。
悩んでしまうし、「こんな親でごめんね。」そう毎日思ってしまうかもしれません。だけど、それ以外でフォローできればいいんだと思います。
私もあなたと同じ想いですが「ぜんぶが完璧な親なんていない」そう考えるようにして、今を生きています。
親が喧嘩したり・落ち込んでいると、子供は敏感に察して不幸になります。
だから、笑っていられるように吹っ切れて潔癖と向き合うのがいいんだと感じています。
笑っているほうが子供は幸せです。
ドアは肘で、お菓子は割り箸で。7歳児の日常
私は、自他ともに認める超潔癖症。
だから日頃から、子供に対して口うるさく「あれは触っちゃダメ」「これは汚いからこうして」と言い続けてしまいました。
その結果、どうなったか。 今、7歳になった私の子供は、ごく自然に、素手でものに触れないようになりました。
ドアを開けるときは、どうにかして肘や足を使う。普通は素手で食べるお菓子も、必ず割りばしを使って口に運びます。
公園で転んだとき
以前、公園でつまずいて転びそうになった時、私は息を呑みました。
けれど子供は、汚い地面に手を触れるくらいならと、体を硬直させて、危うく顔から転びそうになるくらい必死にこらえるんです。
その姿を見たとき、心臓を鷲掴みにされるような気持ちになりました。
「私のせいで、この子から子供らしさや、自由を奪ってしまっている…」と
親として情けなさで胸がいっぱいになった記憶があります。
こんなことを言ったら私を軽蔑するかもですが、そんな息子の姿を見て、正直心のどこかでホッとしている自分もいるんです。
「ああ、穢れなくて良かった・助かった」と。
子供のことはもちろん心配ですが、まずは穢れなかったことに安心感を覚えてしまう…
この歪んだ本音に気づくたび、自分自身が嫌になりました。
面倒くさそうな背中に送る「ごめんね」と「ありがとう」
外出するときは、ニトリル手袋が欠かせません。
息子は時々、面倒くさそうにしながらも、何も言わずにその青い手袋に手を通します。
帰宅すると、洗面所へ直行。うんざりした顔をしますが、いつも手を洗うことを忘れません。
その小さな背中を見るたびに、「こんな私に付き合わせてごめんね。そして、本当にありがとう」って。
世間の「普通」で言えば、私は母親失格なのでしょう。
でも、ウイルスに汚染されて小児科通いをするより、潔癖を押し付けるほうがよっぽど賢明だと思ってしまう。
完璧な親なんて、この世のどこにもいない
親が「ごめんね」と暗い顔をして過ごすこと。それこそが、この子の心を一番曇らせるんじゃないかって思うんです。
子供って驚くほど敏感で、親が喧嘩したり、落ち込んだりする姿をすごい見て、気にしてるからね。
だからこそ、潔癖症はもう、変えられない個性として受け入れるべきだって思うんです。
無理して「普通」の母親を演じて、嘘の笑顔を見せるなんて私にはできないし、したくない。
その代わり、不自由にさせてしまう部分もあるけど、他のできることで幸せにしてあげたい。
たくさんお喋りして勉強して、たくさん美味しいものを食べて、そしてたくさん遊んであげています。
私が心から笑っているほうが、子供も幸せそうなので。
どんな子供になろうが、我が子の成長を見届けたい
超潔癖症な私の生き方が子供の成長に何の影響も与えないなんて、綺麗事は言いません。
成長するにつれて、他人との違和感を感じさせてしまう部分があるのは、紛れもない事実です。
それも全部ひっくるめて、子供の人生。
私は母親として、これからもずっと、我が子の成長をこの目で見届けていきたい。
いじめられたらどうしよう。とか不安ばかりですが・・・同時に「どんな子供に育つのかな」とワクワクする気持ちも少しあります。
異常者って思われる潔癖症なりのやり方で、それぞれの幸せを見つけていけばいいんだと思います。
大丈夫。
ということで今日はおわりです。また次回