おつかれさまです。 サです。
週に一度、平日のすいている時間帯を狙って、私はスーパーへ向かいます。
楽しんで行くわけでは、もちろんありません。 「行きたくない」というのが本音です。
生きていくためには食べなければなりませんからね。 だから、しょうがなく行っています。
多くの人にとっては何気ない日常の行為である「スーパーでの買い物」。
それが、私や強迫性障害の人にとって、どれほど精神をすり減らす苦痛に満ちた行為であるか。
今日は、そんな話です。
これを読んでくださっているあなたも、きっと同じように心を削っていると思います。
同じように戦っているわたしの存在が、だれかの励みになれば嬉しいなと思っています。
スーパー店内で、なにが苦痛に感じるのか
スーパーの店内で苦痛というか気持ち悪いポイントをすべて紹介します。
一歩足を踏み入れた瞬間から、私の神経は極度に張り詰めます。クルマに戻る頃には息が苦しく、ヘトヘトになる感じです。
きっと無意識に呼吸も細くして、店内の空気を吸わないようにしているんだと思います。
まず直面する、買い物カートとカゴの汚染
入店してすぐに向き合わなければならない、最初の問題がこれです。
何百人もの見ず知らずの人々が、どのような衛生状態の手で触ったか分からない、さらに消毒や洗浄とは無縁のあの物体。
持ち手部分は持参したスプレーで消毒するまで、手袋をしていても決して触れることはできません。
汚れた商品たち
- 触っては戻される野菜:なぜ一度手に取ったものを、戻すのでしょうか。その感覚が、私には理解できません。
- 子供がベタベタ触るお菓子:微笑ましいとは、到底思えません。私にとっては不快な光景です。
- 作られた背景が見えない商品:申し訳ないと思いつつも、考えてしまうのです。この商品は、どのような環境で、どのような手で収穫され、運ばれてきたのだろうか、と。
- 汚れが気になる陳列棚の下段:床に近い下段は、様々な汚れが付着している可能性を否定できません。私が手を伸ばすのは、常に胸より上の、上段だけです。


片っ端から買わないスイカ叩くのやめてぇ





キャベツの葉っぱむしって「案外小さいわねぇ」って戻して他のむしるのやめてぇ
他にも山ほどありますが、この辺にしておきますね。
レジ
- 有人レジの衛生面:現金を触ったその手で、私がこれから購入する商品を扱う。潔癖を抜きにしても、衛生的にどうなのかといつも思ってしまいます。私には耐えられません。
- 現金のみという支払い方法:このご時世に、まだ現金しか使えないスーパーがあります。私は嫌だけどそのスーパーの客層が良いからそこに行っています。
私が考え出した、自分を守るための方法
この苦痛な買い物をやり遂げるために、私が考え出した、自分を守るためのささやかな方法です。
人の手を介さない、工場製品を選ぶ
私がカゴに入れるのは、基本的に大手メーカーの工場で生産され、人の手が直接触れることなく密封された商品だけです。 「外装を剥がせば、中は清潔である」と信じられるものしか買っていません。
本当に助かる、セルフレジの存在
他人の手を介さず、現金に触れることなく会計を終えられるセルフレジは、私にとって非常にありがたい存在です。 セルフレジを導入してくれたスーパーには、本当に感謝しています。
家の中の安全を守る、帰宅後の手順
買い物は、家に帰ってからも終わりません。
家に着いたら、買ってきた商品の外装を一つ一つ消毒し、中身だけを取り出して清潔な場所に保管する。
常温で保存できて、すぐに使わないものはゴミ袋に入れて2週間以上封印します。
ここまでやって、ようやく一連の買い物が完了となります。
最後に、同じ苦痛を抱えるあなたへ
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
「たかが買い物」に、なぜこれほどのエネルギーを注ぎ、これほどの苦痛を感じなければならないのか…
このブログを読んでいる人の中にも、きっと同じように苦労している人は多いのではないでしょうか。
苦痛ですよね。 この気持ちは経験した人にしか分かりあえないと思います。
それがたとえ家族だとしてもです。それもまた、ツラいところですよね。



だれも理解されないと思うけど、少なくとも私にはあなたの苦労がわかる。
毎日、毎週、本当におつかれさまです。
これだけのことを考え、リスクを避けながら、感染から身を守るために日々戦っている。
私たちは、誰に褒められるわけでもありませんが、自分自身を守るために仕方ないと思うしかありませんよね。
どうか、そんなご自身を責めないでください。
自分なりに工夫しながら、どうにかこうにか生活できている。
それだけで、本当に、本当にすごいことですよ。