おつかれさまです。強迫性障害主婦のサです。
またマシュマロの話で恐縮なのですが、少し前にいただいた甘い甘いマシュマロがあったんですよ。
それをもう何回読み返したことか、そんなお気に入りについてです。
まずはお礼を、本当にありがとう。
マシュマロというのは大体の場合、苦くて画鋲でも入ってるんじゃないかというヤツが来るんですよ。それが今回はめずらしく甘い甘いマシュマロで、なんか戸惑うくらいでした。
次は私からあなたへマシュマロを渡せる記事を書こうと思います。
強迫のある親として、息子に何億回ごめんねを言ってきたかな
消毒が終わるまで待ってもらうとき、ごめんね。荷物の開封に時間がかかるとき、ごめんね。外出できないとき、ごめんね。学校の教材を触るのがイヤで封印しているとき、ごめんね。
数えたらきりがないです。息子に「ごめんね」を言った回数。
この病気になってから、息子に申し訳ないとずっと思っています。普通の家みたいに買い物に連れていけないし、何かあっても気軽に外出できないし、私の消毒が終わるまで「待って・触らないで」の生活を強いている。
強いている、という言葉が正確かどうかわからないけど、少なくとも私はそう感じている。
本人がどう思っているかは別として。
大きくなったとき、どう思うんだろう、どんな大人になるんだろう、という答えがわからない不安も正直ある。
「なんてクソ親だったんだ」と思われたって仕方がない。
他人だって、それぞれ欠点があるってのは理解してるんだけど、ふとした瞬間に「普通の子」と美化してしまう。
そういうのが頭をよぎるんですよ、一生消えないやつですね。困った困った
届いたマシュマロの内容
書いてくれたのは、お母さんが強迫性障害(確認行為)だった方です。幼い頃からドアの鍵を一緒に確認したり、外に出てからまた玄関まで戻ったりするお母さんのそばで育った。
その話を私に届けてくれた理由が「サさんのお子さんも、きっとそういう感覚だと思います」でした。
「嫌だと思ったことは一度もありません。それよりも母が安心して外出できる方が私は嬉しかったです」
「母はいつも謝ってたけど私は母に笑っていて欲しかった」
ああ、そうか。そういうことか、と思った。
謝るより、笑っていてほしかった
私、謝ってます。消毒のたびに「ごめんね待ってね」、外出できないときも「ごめんね」、何かを断るときも「ごめんね」。
時には意識してありがとうに置き換えていましたが、また忘れて反射的に謝ってしまっていた。クセって治らないものですね。。
でも、この人が言った「笑っていてほしかった」という言葉(実体験)を読んで、
もっとありがとうに変換しなきゃって思えました。
息子にとっては、ごめんねを何度も言われるより、お母さんが笑っている時間の方が嬉しいのかもしれない。
そう考えたら、謝ることにどれだけ意味があったのか、ちょっとわからなくなった。
待っていてくれてありがとう。一緒にいてくれてありがとう。嫌だと言わないでいてくれてありがとう。
これからはできる限り、ありがとうにします。
同じ後ろめたさを持っている人へ
強迫性障害があって、家族に負担をかけていると感じながら生きている人は、きっとたくさんいると思います。子どもに対しても、パートナーに対しても、親に対しても。
「私さえいなければ」って思い詰めたり、「もっと普通だったら」「こんな思いをさせたくなかった」という気持ちは、私含め読者さんみんなの病気のそばにいつもあると思います。
それは消えないし、消せない。もう人生疲れたって何回思ったことか・・・
でも今日届いたマシュマロで、少し思った。謝ってばかりいると、謝られてばかりの人も疲れる。
これから巻き込みまくりな家族に、ありがとうって言える日が少し増えたらいいのかな、と。
家族が笑ってるときって、なんか嬉しい気持ちになるしね。
マシュマロをくれた方、本当にありがとうございました。
たくさんの傷を持ちながらこういう言葉を届けてくれたこと、ちゃんと受け取りました。
以上です、最後まで読んでくれてありがとう。
このマシュマロを大切にします。くれた方、本当にありがとう。

