つり革を掴んだ瞬間、「あ」と思ったこと、ありませんか?
満員電車で誰かがくしゃみをした後、ほんの一瞬だけ息を止めたこと。コンビニのレジでお釣りを受け取って、ポケットに入れる前に0.5秒だけ手が止まったこと。スマホをずっと触っていた手で、そのままパンをつかんで食べようとして一瞬立ち止まり「まあいいか」で流した瞬間。
日常生活の中で、誰しもがそういう「あ」っていう経験を一度くらいしたことがあるはずです。
強迫性障害(不潔恐怖)の私たちは、その「あ」が消えません。その「あ」が喉に詰まった小骨のように脳内に残り続けて「あ゛あ゛あ゛あ゛」になる。今日はそんな話をします。
誰でも一瞬くらい、気になったことあるでしょ?
意識したかどうかはともかく、身体はちゃんと反応しているはずなんですよ。
つり革をなんとなく手のひら全体じゃなく指先だけで掴んだとか、エレベーターのボタンを他人があまり触らなそうな場所を選んでそっと押したとか。
誰かと握手した後すぐ手を洗いたくなったとか、外から帰ってきた人間がそのままソファに倒れ込んだとき何も言わなかったけど一瞬だけ気になったとか。
なにかしらの「あ」が生活の中にあるはずです。
「ない」と言う人はそのまま知らない方が幸せで生きやすいからそれでいいからこっち来んな。
強迫性障害の不潔恐怖というのは、意識していないだけの人が大半で、忘れられるから普通の人間でいられる。
そう思うんですよ。
異常者の私たちはそういう「一瞬の気づき」がずーっと続いている状態なんです。
気づいて、気になって、でも2秒後には「まあいいか」で終わらせる。
その「まあいいか」の部分が、私たちには無いから。
私はその一瞬が、終わらないし積み重なる
多くの人は電車でつり革を掴んで「あ」と思っても、だいたい2秒後にはスマホをいじりだして忘れてる。
(私はもう電車に一生乗りませんが)もし、電車に乗ってつり革を素手で掴まなければいけないという拷問をさせられたら、掴んだ瞬間から帰宅して消毒しても、苦しみは終わりません。
その後2週間くらい感染症の潜伏期間に怯えながら生活し、心身がズタボロになります。
だって考えたらヤバいから
もう何人が触ったつり革なのか。今日この電車に乗っていた中に体調の悪い人がいなかったか。
その人がつり革を使う前に触ったものを想像すると・・・吐き気がする。
どうせ電車内の消毒や清掃なんてたかが知れてるし。考え始めると無限に終わらないんです。
私と同じ病気でも、やむを得ず普通に出勤や外出をしている人は多い。
そういう勇者たちは、外から見たら普通に立っている人間ですが、内側ではずっと「それ」と闘っています。
ちなみにこの記事を書いている今、私も不潔恐怖と闘っています。ウイルス絶滅しろ
で、これを「気にしすぎ」と言われるんですよ。
気にしすぎ、というのは不思議な言葉だと思っています。
あなたも一瞬気になったのに、私が同じことをずっと気にしていたら「気にしすぎ」になる。
基準はどこにあるんですか。2秒以内なら正常で、それを超えると病気ということですかね?
せっかく気づいたのに、すぐに忘れるバカが健常者と呼ばれるなら、私は一生このまま異常者でいい。
精神科の先生も、「これが正解だ」と座学試験がたまたま優秀だったからって偉そうに何をわかったようによく喋り、知らずに矯正しようとしてくる。
それで飯食ってるから仕方ないんだけど。心では「あ、コイツ頭オカシイわ、だめだな」ってわかってるなら、無理に矯正しようとしないでいいから。
異常者が言える身分ではないかもしれないけれど、とやかく言わずに、話を聞く。それも治療だよ。
先生だって人間で、当事者じゃないんだからいくら勉強したとてわからないものはわからない。
それで良くね?
で、どっちが正しい認識なの
私が気にしていることは、全部事実です。
つり革には不特定多数の人が触れています。感染症の潜伏期間中の人間がどこにでもいる可能性があることも、事実。お釣りに何が付着しているかは誰にも見えない。見えないから「まあいいか」で終わらせているだけで、そこにあるものはあります。
電車に乗る前にポコチンを触ったおっさんがつり革を握る。下痢で濡れたケツの穴を電車が来るからって急いで雑に拭き取り、他人の目を気にして一応洗面台に行き水でちょろっと指先を濡らしただけの手でつり革を握る。エレベーターのボタンを押す。タッチパネルを触る。扉を開ける。
健常者はその事実を忘れちゃってるおバカさん。
私はそれが切り捨てられない。気づいてしまったらおしまいで、知らなかったふりができないんです。しかも、その気づきがどんどん蓄積されて、プロフェッショナル異常者になってしまいました。そんな私のことを「救済者」と呼ぶか「障害者」と呼ぶかは正直、受け取り手次第です。ただ、どちらが事実から目を逸らしてる障害者かって考えると、お前らだろとは思っています。
なのに、病気と呼ばれるのは私の方なんですよね。笑えないですが。
それでも私が病気で、あなたが正常
反論したいわけじゃないんです。私が正しくてあなたが間違っていると言いたいわけでもない。
ただ「気にしすぎ」という言葉がいつも私に向くのは、気にしない側が「正常の基準」を持っているからで、それって単純に多数決なんだよなと思っています。みんなが気にしないから気にしないことが普通になって、気づいた方が少数派だから気づいた方が病気になる。
社会生活を送るにはある程度気にしないことが必要なのも、わかっています。自分がそれをできていないことも。
ただ、汚い世界に正直に気づいてしまっただけの人間に「気にしすぎ」と言われると、毎回少しだけ腑に落ちない。
そういう話でした。
あなたの「あ」、これからも大切にしてください。
いつも最後まで読んでくれてありがとう。

